この原理は決して覆らないモノであり、本来覆すべきモノでもないと思っています。
ワタシは、「死」が待ってるからこそ生きている一瞬一瞬を謳歌していきたいと考えていますし、いざ命が途絶えた後も葬儀という形式で盛大に見送って頂きたいなと思っている訳で…
ワタシの祖父や、実の兄が亡くなったときは父が葬儀屋さんの手配をしてくれたのでどういう意向でその葬儀屋さんを選んだのか定かではありませんが、故人の家柄・宗派などが考慮されるのは間違いないと思います。
現に、そのときに読経をして頂いたのは代々お世話になっているお寺の住職さんでした。
次に、ワタシの願望ではありますが、葬儀はそこそこ大きな規模で執り行ってもらいたいものですよね。こじんまりしたソレだと故人の生前の人生を認めていないような気がするんですよ。
つまり、お葬式の規模が故人のそれまでの生き方をある意味描写しているのではないかなと。